英霊の供養について

戦争で亡くなった御霊への感謝は社会人として欠かせません。

戦争で亡くなった御霊への感謝の意を込めて、ご供養致します。
御霊の慟哭を忘れないよう!
絶対に戦争を起こさないよう!
強い気持でご供養しましょう。

情けある母の哀訴嘆願 平井 聖 (「きけわだつみのこえ」より)

(東北大法学部学生。昭和一九年一〇月豊橋陸軍予備士官学校入校。二〇年七月九日仙台にて爆死。二〇歳。)

昭和一九年九月二五日

福島氏の柴生田宅で優待になり、日曜朝帰宅ーー母より、理科方面への転向をすすめられる。いままで経験をつんできた学生としての最善の道をたどれ、とのありがたい親心ではあるが、そのすすめのごとく医科にまた農科へいくことも心に染まず、つい憤慨する。文科学生としての行き方を求めてせっかく苦労して飛び込んできた道である。

一一月三〇日

またしても母の転科をすすむるますます激しくなった。ただひとりの息子――その成長ばかりを願ってきた母は、わが子をみすみす戦場に死なせるのはけだし“願わざるのはなはだしき”ものであろう! この憂いその心配はまるで狂気のごとく、母としてはほとんど泣かんばかりの真剣な態度で自分に哀訴するのであった。説き去り説き来たりためつなだめつ一生懸命説得するのであった。最初理科方面への転向慫慂は、「将来大学を出よ」との打算的な考えにすぎなかったようであるが、今や母親の本能は敏感に 我が子の血の臭いを嗅いでいる! 的確に“死”の予想をしていたようであった。もちろん飛行機に乗れば当然生命はなく、「仙台青葉師団」の戦闘幹部にでもなれば、これまた当然生還の目算は立たぬのである。そぞろ母親は感慨深く、「お前の性格からしても猪突猛進してついには生命を失くすであろう」という。いかに我が性格はわざわいなるかな、自分もそう思っていたところをズバリ言い当てられたので愕然とした。しみじみ自分の一徹な性格をば嘆く!

しかもこの若さにおいて散ることこそ、自分の最も本望とするところ――だが両親の考えは、一概に自由主義思想の残滓的感情とばかりはいい切れない。心中で泣いて合掌しながらも表面ではただただ微笑をたたえて、情けある母の哀訴嘆願に対さねばならない。この矛盾そしてこのジレンマ、自分は二つの相反した魂の葛藤に、心苦しくも泣き、果ては慟哭したのであった!

……お母さん、お気持ちはようくわかります。しかし時代とわれわれの教養がお言葉にそうのを許さないのです。どうぞ先立つ不幸はおゆるしください。……

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