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学び

山里の寺から

毎月一回、法楽寺コラム集の中から一話ずつ掲載いたします

 こちらの文章はみやぎシルバーネット2005年8月から掲載されているコラムです。

第二話

 八月から九月にかけては、お盆・お彼岸と大きな仏事が続き、「お精進」という言葉を耳にする機会も多いのではないでしょうか。「真っ当な人」のイメージには精進が似合うこともあり、今回は、精進が一般に言う努力とどう違うのかについて記しましょう。
 そもそも、精進とは、菩薩(ボサツ)様になるための六つの修行の一つです。たとえば金庫破りをしようとどんなに一生懸命に穴を掘っても、あるいは振り込め詐欺をしようとどんなに悪知恵を廻らせても、また、灯油が高いからといって、スコップで畑に穴を掘ってみても、それらは精進ではありません。自分のためだけでなく誰かのためにもなること・人としての戒めに反しないこと・じっと耐えて続けること・心身を整えながらやること・真理や道理に合った行動であること、努力にこの五つが加わってはじめて「お精進」と言えます。六つの修行は一体になってはじめて正しい行なのです。
 この行は、僧侶になるためだけにあるのではなく、決心一つで誰にでもできる人間修行です。もしもラーメン屋で成功しようと努力する場合、ただただ儲けようとせず心からお客さんに喜んでもらおうと願い、立ち居ふるまいや言葉づかいに気をつけ、どんなに辛くても諦めず、体調管理を怠らず研究心を失わない、そんな生き方ができれば立派な行ではありませんか。真っ当な人は、いつしか菩薩への道を歩んでいます。
 精進の象徴はお線香です。お線香は、いったん火が灯されれば燃え尽きるまで淡々と自分を燃やし続け、周囲へふんわりと佳い香りを広げます。お線香を捧げる時は、「線香のごとく、たゆまず、怠らず、最後までやりぬかん」との心をも捧げたいものです。

法楽寺住職 遠藤龍地

第一話

 はじめまして。この欄の担当をおおせつかった龍地です。一行者として体験したことや血肉になったものについて記すことがいささかでも皆さんのためにお役に立つならと、お引き受けしました。
 まず、講演会などで一番多いご質問「なぜ僧侶になったのか?」についてお話しましょう。
 商売をしている両親に育てられた私は、政治家になるのが夢でした。ところが目ざす大学の入試に失敗し、人生の扉が閉じられてしまったと感じました。
 座禅をしたり政治研究会へ入ったりと紆余曲折を経て家業を継ぎ、一時的には成功したかのようでした。しかし所詮は「自分は何をなすべきか?」と揺れ続け地に足のついていない者のやることです。事業は失敗し、たくさんの方々へ迷惑をかけ、無一文になりました。そして、破綻へ到る過程で縁となった師僧のお慈悲でこの道へ入りました。一軒一軒と托鉢をしているうちに今日を迎えられたことをふり返ってみれば、「お導きいただいた」というしかありません。
 つい最近、人生相談の方から「運は自分で切り開くものですか?それとも人生は誰かに決められているんですか?」という質問を受け、「両方の要素があるものですよ」と答えました。「自分の道」を探すという姿勢がなければ縁に気づかず、仏神のご加護がなければ縁の糸は結べないからです。前者は常の意識として大切なことであり、後者は後から気づくことです。
 しかし、後者のことを知っていれば、良き縁の糸は早く結べるに違いありません。この二つは「まっとうに生きること」と「『おかげさま』を忘れないこと」と言い替えることもできそうです。この先、それについてのお話をさせていただきましょう。

法楽寺住職 遠藤龍地

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